「作れる」と「作った」の違い
「作れること」ではなくて「実際に何かを作った」ということが評価される、という話です。
文章でも同じことが言える。誰でもうすうす分かっていて、誰かが日頃から考えているようなことでも、それを書いてくれる人はなかなかいない。だから、書いた人が登場するとやっぱりみんな喜ぶ。それが広く読まれれば、より評価が高まる。読まれるために一流の書き手である必要は必ずしもない。
作れるのになぜ作らないのか、書けるのになぜ書かないのか、そのような理由にはいろいろあるが、そのひとつに、できるとわかっていることをやってもおもしろくない、自分で当たり前と思っていることを書いてもおもしろくない、という感覚がある。
そういえば、世間でもてはやされるエッセイというのは、何かしら「日頃から考えたり感じたりしている人が多いけど、実際に書いてくれる人はいない」というものが多いように感じます。ベストセラーエッセイのAmazonの書評で「そんなに当たり前のことを一冊の本にしてまで書くな」といったものがありますが、実は類書がないこともしばしば。
平凡を恐れるな、ということかしら。
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